2012年7月17日 (火)

やはり他人

四半世紀連れ添った連れ合いに、今やや不信感を持っています。きっかけは、息子のお誕生日に、家族と息子の彼女、全部で6名で、外食した席での話でした。

息子が連れ合いの実の妹の家族について、話題に乗せたことに端を発します。やはり、というか、世間の皆さまがよくお話になるように、連れ合いは自分の妹をかばう発言を連発。決して悪口と意図して話したわけではないのに、です。場がどっちらけになりました。後で息子と話をしたのですが、やはり血のつながりというのは、どうしようもないね、ということになりました。

いろんな友人の話から、自分ではわかっているつもりでした。実家の話だけは、簡単に絆が壊れる原因になると。アンタッチャブルであると、わかっていたつもりでした。でも、実家の家族と過ごした時間より、今の生活の方が長くなった今でさえ、自制が効かなくなるほどなんだ、ということ、実際にはちっともわかっていなかったことになります。

では、これから、歳を取ればとるほど、きっとその感覚は、硬くどうしようもなくなるでしょうね。今芽生えた不信感は、そんな確証に変わりつつあります。真の家族は、やはり血のつながりだけなのでしょうか。そういう私も、そんな話を交わしているのは、やはり血を分けた息子や娘だけです。夫婦は基本、他人。そんな簡単なこと、わかっていたつもりだったのですが。

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2012年3月29日 (木)

きっかけは、浅草寺

お彼岸を超えて、あ、そういえばしばらく、先祖供養のお願いをしていなかったことに気づきました。

数年前、幸せになる占いというのをやってもらって、その占い師さんに、先祖供養の大切さを諭されたのがきっかけで、浅草寺さんに、先祖供養を折々にお願いしてきました。浅草寺さんは、富士山の浅間神社と同じ、木花咲耶姫に関連されているそうで、先祖を癒す力がとても強いそうです。

今ちょうど話題の、オセロのなんとかさんの話に近いような気がしますが、私はその話に納得したため、ずっと浅草寺さんに、春と秋のお彼岸、お盆の法要をお願いしてきました。でもここ1年くらい、気持ちが緩んだのか、少し忘れがちになっていたのです。

仕事を変わって、つらい日々が続いたのち、思い出したように浅草寺さんにお願いしたところ、気持ちの向き方が全く変わりました。それまでは、悪いことが起こらないように、失敗しないように、後ろ向きのお願いしかしなかったのですが。

だめだったら辞めたらいい。どうせ辞めるなら、やりたいようにやってから辞めよう。そう自分を俯瞰的にみられるようになりました。そうすると、必死でとっていたメモも、見直してまとめながら、こんな場合はどうだろう、こうだったらどうだろうと、疑問に思えることがとても増えてきたのです。

できないこと、しなくてもいいことの切り分けをして、無理しない、理不尽なことはおかしいと言えるようになること。なんと、こんな働くうえで基本的なことを、息子から教えられました。彼も文系の大学を出て、理系の会社に就職して、モーレツサラリーマンのような生活をしている身です。苦労して環境になじんだ大先輩?なので、相談したり、アドバイスをもらったりしました。

今までのやり方では、ミスばかりするのは当たり前でした。自分に自信を失って、どんどんつまんない自分になっていくのを、今度は冷めた目で見つめられるようになりました。そうなると、腹が据わります。いいや、未経験なんだから、社員じゃなくパートなんだから、やれるようにやってみよう。辞めるのはいつでもできる。仕事は選ばなければ必ずある。

誰にも期待しない。傷つかない。環境になじむには、自分が変わるしかないのです。ようやく、少しわかってきたような気がします。きっかけは、やはり、先祖からの助け舟だったのでしょうか?

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2012年3月18日 (日)

どこに行こうかな

今年中に、夫婦で30万円の旅行券を、夫の会社からいただけることとなりました。なんでも、勤続30周年記念のご褒美だそうです。さて、いつ、どこに行こう、ということで、今から悩んでいます。

国内で夫婦で30万、といっても、数日かけないと使い切れません。旅行で完全に使い切らないと、残額に税金がかかってしまうそうで、困っています。夫も私も、仕事柄そんなに長く休みをいただくことは不可能ですので、効率よくうまく使わないと、短い休みでは消化しきれません。

北に行くか、南に行くかでまず悩みました。南はゆっくりできてリゾート感が高いのですが、なにせ、食事が口に合うものが少ないのです。奄美大島は行ったことがあって、とってもいい所で食事も良くてまた行きたいですが、沖縄は、夫が食べ物が合わなくていやだといいます。

北は逆に、おいしいものに期待がかかりますが、ここから行くとなると、移動だけで結構お金がかかります。それはそれでいいのですが、さて、いつどこにいくかで、見どころ、快適度が異なります。さて、どうしようと悩むところです。

今、一番行きたいのは、平泉の世界遺産か、青森の恐山か、というところですが、実現するでしょうか?仕事柄、ホテルも一番いい所で、スイートととまではいかなくても、かなりい所、に泊まりたいなと思っています。最高のもてなしを勉強するのもいいかなと。さて、これからまた計画しなくてはいけません。

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2012年3月11日 (日)

捨てて、得る

皆さま、お久しぶりです。休止しようと考えていたこのブログですが、考えるところあって再開することにしました。ブログ自体を、なかなか書くことができない状態が長く続き、書く、ということを、機械的にこなすことが続きました。

2月初旬から、環境ががらりと変わり、かなり、自分なりに、頑張ったと思います。仕事も、プライベートも、です。つらいとか悲しいとか、そんなことも考えるのを忘れていました。やさしい言葉をかけられると、張りつめた気持ちが崩れてしまうので、口角はあげつつも、心の中で歯を食いしばっていました。

人生を半分過ぎて、なお未経験のことをさせてもらえて、自分を向上させていける機会を与えられたこと、それだけですごいじゃん、と家族に励まされて、なるほどと思いました。そして、楽しんでブログを更新する、ということを捨てて初めて、もう一度楽しんで書きたい、と思えるようになりました。

人生に無駄なことは一つもないと思います。こんなに苦しい今を、いつかは笑って見返すことができるようになるのでしょうか。今は想像がつかないですが、その日が来るのを信じたいと思います。

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2011年12月29日 (木)

皆さまにお知らせです

いつもご愛読、ありがとうございます。私の心のつれづれに、お付き合いくださって感謝いたします。

少し整理をしたいので、こちらのブログは、当面、以下のブログにて代用させていただきます。また、何らかの形で更新するまでは、以下のブログにて、動向をアップさせていただきますので、どうぞよろしくお願いいたします。

■ミズリィ京都こぼれ話
http://blog.livedoor.jp/celica_coach/

■スピリチュアルなパワースポットを訪ねる
http://celica-classic.at.webry.info/

■京都・お針・きもちいい暮らし
http://www.dhcblog.com/celica_kimono/

お読みくださってありがとうございます。今後ともどうかよろしくお願いいたします。

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2011年12月 5日 (月)

いよいよ解禁!

今年から就活のスタートが、学業優先ということで、2ヶ月延びて12月からになりました。実質、就活がスタートするのが、今から、ということになります。テレビでこれ見よがしに、企業の大々的な説明会のニュースが報道され、緊張した3年生の顔が、大写しになっています。

今回の2ヶ月遅延で、一番とまどったのが、大学側と当の就活生ではないでしょうか。昨年は10月くらいから、新卒者対象の説明会がスタートしていますから、それまでの2ヶ月、どんなふうに過ごしてどんな準備をしていたら他の方々に後れをとらないのか、悩みながらの期間だった気がします。

さて、我が家にも最後の就活生がいます。テレビで就活関連のニュースが出るたび、やきもきしているのは親ばかりで、当の本人は、10時になっても布団の中です。これで大丈夫なの?と心配はしますが、言っても聞くような子ではないので、勉強しなさい、とか、説明会行きなさい、とは、一言も言いません。頼まれた時間に、粛々と起こすだけです。

早くから、スーツと白シャツをそろえ、バッグとコートまで用意しました。寒かろうと、ヒートテックの肌着まで準備しています。スマートに歩かないとカッコ悪い、就活生のかぽかぽの靴ほど、いらっとするものはない、という夫の趣味で、リーガルの靴に、ジェルの中敷きを入れてもらい、万全を期しています。

なのに、です。いつになったら、動き出すのでしょうか。大甘の親は早々とスマホまで準備して、就活に使ってくれれば、と与えているのに。テレビの就活生を見るたびに、こんな賢そうな方たちが相手だと思うと、萎える気がします。スタートしたばかりなのに、早くも不安になってきました。

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2011年11月21日 (月)

今日がとうとうきたんだね

息子がこの前、夏季に取れなかった休暇をこの時期にとって、彼女を連れて田舎に帰ってきました。見た目より家族思いのところがあって、おじいちゃん、おばあちゃんに、結婚するつもりの彼女を、見せたかったようなのです。まだまだ具体的な話が進む前ですから、まだ少々早いかなという気がしたのですが、男親側としては、気持ちよく若い二人を送り出しました。

結果からいいますと、とっても喜んで二人とも帰ってきました。彼女は若干、人見知りの気があって、最初はどうなることかと思ったそうですが(息子談)、おじいちゃん、おばあちゃんも好意的に思ってもらえたようで、しっかり二人で休暇を祖父母の家で満喫してきました。

何が良かったって、彼女が、おばあちゃんの出した食事を、おいしいおいしいとなんでもたくさん食べてくれたそうです。いまどきの若い子は、ダイエットだ、なんだと、食が細かったり、好き嫌いをしたりする子が多いのに、気持ちよく食べてくれたので、おばあちゃんとしては嬉しかったようです。息子よりたくさん食べたのではないかと言っていました。

我が家に遊びに来た時も、本当に気持ちいいくらいよく食べてよく飲んで、明るくていい子です。本当にお嫁さんに来てくれるなら、息子がそう望むなら、親としては大歓迎です。

ただ、つらつら思いだすのは、息子が生まれたときのこと。母乳だけでは足りずに、ミルクをたらふく飲んでいたこと、初めて飛行機ブーンができて、自慢そうな顔をしたこと。年少で幼稚園に入れて、最初の園バスに乗せたときに、泣きそうな顔でお母さんの顔を、見えなくなるまでじっと見ていたこと。中学受験をさせたときに、親の方がテンパって、お弁当にお箸を入れ忘れたこと。妹たちのやんちゃに手を焼いていた私のことを、さりげなくフォローしてくれたこと…。

息子が結婚するかもわからない、というだけで、こんなにたそがれるなんて、娘がお嫁に行く時は、いったいどうなっちゃうんでしょうね。やはり、ずっと家族5人で、仲良く肩寄せ合ってきたのですから、たった一人でもいなくなるとなると、とうとうこの日がきたんだなという感慨でいっぱいです。さて、出て行くその日まで、どのくらい泣かないといけないのでしょうか。

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格好を付ける、功罪

京都の食文化ですごいと思うことは、行事ごと、日にちごとに食べるものが決められていたりすることです。おんなはその都度、食事のメニューに悩まなくてすむので、合理的といえば合理的なのですが。昔は専業主婦とかいうカテゴリはなく、一家みんなで家業を手伝ったりしたので、そういう決まりごとはいいですね。

お客様をもてなすメニューから、仕事に来ていただいた植木屋さんや職人さんにまで、京都では仕出屋さんからデリバリーしてもらうことが多いのです。主婦の手料理は家族で食べるもの、お客人には、プロの料理を食べていただく、一見当たり前のようですが、アメリカのホームパーティーのように、手料理でもてなすのが普通に行われてきていることに慣れてしまうと、ちょっと戸惑います。

私個人的には、自分が料理が不得手なので、デリバリーですめば、お客さまももてなしやすい気がします。主婦は特に、女性がいらっしゃると目が厳しいのですので、お掃除に気を使って、お料理はおろそかになっしまいますので、おもてなしは別の方に、というのは嬉しいですね。

古の平安貴族は、表向きの公式の衣装である晴着と、日常の褻(け)着をきっちり区別していたといいます。都のあった京都では、表と裏、晴れと褻を区別して生活することが自然であったのでしょうか。家族と他人、超える垣根は決して低くないと思います。格好を付けることはないよ、といったら終わりですものね。脈々と続く生活の営みの中で、私たちが伝えなくてはならないこと、とても多いですね。

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2011年11月14日 (月)

どうしてももう一度行きたい!

11月の初めに、念願だった奈良、天川の弁財天さんに行ってきました。台風12号来襲の際に、山津波と呼ばれる土石流や、土砂崩れの被害を受けられ、道が寸断している土地柄だったので、果たしてたどりつけるのか、天川村を始め、十津川、五條の方々も無事か、心配でしたが…。

また、行くと決めた数日後に、この台風が来てこのようなことになりましたので、こんなときに、いったい行っていいものかとも考えました。この天川の弁財天さんは、自分がいくら行こうと思っても、行けるものではないこと、弁財天さんが認めてくださらないと、自然に都合が悪くなったり、身内に引き留める物ができたりとかして、行けないものなのだそうです。まさにご縁、ということで、行けるところまで行ってみようと、出発しました。

車で京都から向かったのですが、噂にたがわず、行きにくいところでした。道が難しいとか、そのようなことではなく、行けるかどうか、最後までわからなかったのです。ナビで調べると、ことごとく、赤いバツ印。通行止めのサインです。ナビはそれを避けて道案内しようとしますから、勢い、同じところをぐるぐる廻ったり、こっちの道なんじゃない?と思っても、逆を指示したり。天川の近くの黒滝というところまできたら、すでに神社が開いているだいたいのタイムリミット、4:30を過ぎていました。

ダメモトで、道の駅で道を聞くと、なんでも弁財天さんまでは、何とか行けるらしいのです。その先は、土砂崩れで、温泉があるらしいのですが、その辺は難しいとか。行けるなら行ってみようということで、5:00前に、大急ぎで車を走らせました。

川の向こう側、「ようこそお参り下さいました」の字が見えた時には、もう、本当に泣くかと思いました。やっと念願がかなったと思って、感謝、感謝。すでに七五三や秋季大祭などの行事が終わって、巫女さんたちが、境内をほうきで掃き清めておられましたが…。なんとか、本殿に上って、周囲の写真を撮らせていただきました。

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この日を夢みて、会社の帰りに近くの弁財天さまにずっとお願いしていてよかった。ご由緒をたどれば、弘法大師さまのゆかりがあるようで。今まで四国八十八ヶ所霊場を回ったり、東寺にお詣りしたりしてよかった。許されたんだなと、本当にうれしく思いました。

京都に帰ってからも、しばらくは、なんだか嬉しくてふわふわした気分は続きました。霊的なステージが上がったなんておこがましいことは言えないですが、天川さんに、もう一度参ることが、すぐに頭に浮かびました。私たちを天川さんに導いてくださった、黒滝の道の駅で買った、秀嶋食堂のたれも非常においしくて、また欲しいなと思ったこともあります。ぜひ、もう一度、明るいうちにたどりつきたいです。そして、少しですがご寄進をさせていただけたらと願っています。感謝の気持ちを込めて。

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2011年11月 2日 (水)

津南町の町議さん

東大の大学院の女性が、故郷の町議会議員選挙に出馬、2位に倍以上の差を付けて、トップ当選されたとニュースで言っていました。故郷のために、と、わざわざ故郷に帰っての立候補となりました。今後は、軸足を津南町に置いて、大学院には2時間かけて通うそうです。

人口の3分の1以上が65歳の田舎の小さな町で、若い女性が町議選への立候補、しかも当選するのは日本では異例のことだと、マスコミでも取り上げられていました。3月の大震災の翌日に起きた地震で被災した故郷を救うべく、今後も奮闘されるのでしょう。若い力に期待したいと思います。

ふと、今年の京都市議選を思い出しました。地元から、知っている方のご家族(若いお嬢さん)が出て、当選されたのです。新しい政治団体からの出馬で、既成政党に依存しない、新しい若い力として私たちも、地元小学校のネットワークを使って応援しました。あの若さで見事、現職を抑えての当選となり、皆で喜んだものです。

それにしても、女性は、一人で2役、3役、というマルチな方がとても多いですね。今回の津南町の町議さんも、大学院生で町議。他にも主婦なのに社長とか、お母さんなのにモデルさん、とか、女性はステージが多い方が輝くんでしょうかねえ。

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