« 2011年8月 | トップページ | 2011年10月 »

2011年9月

2011年9月27日 (火)

昔の痛みを…

一昨日の夜、テレビ朝日系列で放送されました、「バラ色の聖戦」というドラマ、ご覧になりましたか?以前この時間帯で放送されていた、アスコーマーチのファンだったので、今回もたまたまついていたテレビで、引き込まれて見てしまいました。

詳細はホームページの、あらすじの記述に譲るとして、こちらをご覧ください。
http://www.tv-asahi.co.jp/barasen/index.html

今回の内容は、ブライダルモデルを目指す主人公が、オーディションを受けに、東京から京都にやってくる、というストーリーでした。もちろん、二児の母ですから、実家に最初は子供を預けるつもりでいます。しかし、誰も都合がつかず、頼みの夫も、仕事を理由にドタキャン。切羽詰まった主人公は、子どもを置いてオーディションに向かうことができず、託児所に子どもを預けます。知らないところに預けられて、泣き叫ぶ子どもたちを見ていて、胸が締め付けられました。

働く母親なら、必ず一度は、経験したことだと思います。番組のBBSを見てみると、大半が主人公へのエールでした。理解のない夫に対する非難と、主人公への応援。中には、泣く子供を置いていく主人公への非難もありました。そこまでして、しなくてはいけない仕事なのかと。お母さんとして、子どものそばにいてあげられるのは、今だけなのでは、と。

モデルという、特殊な職業だけでなく、子どもを預けて働く女性へは、賛否両論ありますよね…。私も通った道ですから、誰も責められないし、今となってはどれが正しかったのか、なんてわかりません。今回のドラマのように、兄弟がいて、お姉ちゃんがいるから、二人だから、預けてもいいだろう、ということはないでしょうし。我慢して我慢して、健気にふるまって、最後にとうとう泣きだしたお姉ちゃんを見て、もう、なんとも言えなくなりました。

ただ、子どもは大きくなります。確実に、それはそれは立派に。たとえ何があっても、親子は親子です。ただ、夫婦は違いますね。お互いに、理解し合わないと、永遠のすれ違いです。次回は最終回だそうですが、いったいどうなることでしょうか。家族の一つの形の提言として、見守りたいと思います。

| | コメント (0)

2011年9月23日 (金)

揺れる思い

秋が濃くなってきました。そろそろ大きな布団が恋しくなって、夏蒲団をしまって、秋冬物の入れ替えをしました。空がどんどん高くなって、朝晩が急激に冷えてきましたね。夏の終わり、秋の始まりは、いつも突然のような気がするのはなぜでしょうか。

自分が考えたようには、世の中まわらないもので、もっとこうしたらいいのに、とか、こんなことがやってみたい、とか思いながら、実はその10分の1も、実行できないままでいます。若いうちは、自分の可能性を信じることもできますが、この歳になったら、あまりギラギラしたものはもてません。静かに、身の丈に合った生活をするだけです。

時間とお金と仲間が十分集まれば、やってみたいことくらいあります。昨日のテレビ番組で「なるには王国」というのがありましたが、ご覧になりましたか?ITの勝ち組、サイバーエージェントの社員さんは、新卒でいきなり社長、というのが普通だそうです。会社の中で、同じように机を並べていて、名刺は代取、なんて、あまり考えられない状況ですね。リスクは誰が持つのでしょうか?

親会社に、家賃・光熱費など持ってもらっているから、実費としてかかった販管費くらいしか、経費はかからないのでしょうね。経営責任はどこまで?とうらやましくなってしまいます。社長は、倍以上仕事ができなければ、という考えは古いのかな?

大きな冒険、なんてできるはずもなく、せいぜい机上で設計図を書くぐらいですが、気持ちは揺れています。安定なんてどこにもない、前に向いて進まないと、下がってしまいそうです。

| | コメント (0)

2011年9月12日 (月)

ありがとう、さようなら

我が家に来て2か月、幸せだったのかな、と、今でも自問自答しています。大切にしていた、1匹だけのカブトムシのかぶちゃんが、今朝起きたら、動かなくなっていました。まるで、プラモデルになってしまったような、静かな静かな死に方でした。

前日の夜、かぶは、ひっくり返ったまま、動かなくなっていたので、あ、もう、寿命かなと、覚悟しました。起こしてやったら、かすかに動いたのですが、すっかり弱り切っていたので、これはお別れかなと、考えながら一晩明かしました。

前々日は、今までにないくらい、興奮して、ハウスの中を歩き回っていたのです。寿命が尽きる前の生き物は、最後の力をふりしぼるのか、一時的にとても元気になるそうです。今となって思えば、それがそのサインだったのでしょう。2か月間も、よく生きてくれました。

今も、かぶが死んだなんて、信じられません。ただ眠っているだけ、ただ冬眠してしるだけ、のような気がします。娘は心配して、そんなに悲しいなら、何かほかのものを飼ったら?といいますが、かぶだったから、今まで飼えたのです。他の誰でも、これは埋められません。

今まで、昆虫を飼うなんて、したことがありませんでした。幼稚園に勤める娘が、夏休みに入って、幼稚園で飼っていたカブトムシを、自宅に持ち帰ってきたことが始まりでした。半ば強制的に、やってきたかぶでしたが、家族がとても可愛がって、本当によく頑張ってくれたと思います。

今朝、娘がかぶを、幼稚園に持っていきました。園児たちと、お庭に埋めるそうです。ありがとう、さようなら。忘れないよ。

| | コメント (0)

2011年9月 3日 (土)

初物を、ふたりで

先日、「ホンマでっか!?TV」を見ていたら、日本人が情緒的で仲がいい理由として、初物を家族や大切な人と食べる習慣があるからだ、とおっしゃっていました。四季がはっきりしている日本では、気持ちの区切りとか、季節によって自然が移り変わったり、食べ物が変化することが、すごく情緒的にとらえられていたんですね。

逆にヨーロッパとか、アメリカなんかは、この「初物」という感性は、お持ちでないらしい。だから、初物にあたる言語がないんだとか。だから、当然、一緒に食べて絆的なものを感じることもありません。そういえば、私が英語を習っている先生は、イングリッシュネイティブですが、日本に来た時に、大いに疑問を持ったことが多かったといいます。

まず、お返し、という習慣。人々が円滑にお付き合いをしていく上で、何かをあげたりもらったりする上で、ギブアンドテイクは普通ですよね。ところが合理主義の方々には、これがどうしても解せないらしい。季節のあいさつも、やはりそうですね。四季がはっきりしていないと、わざわざその内容を挨拶に取り入れることもありません。

ちなみに、私が習っている英語の先生は、イギリス人なのに、日本が大好きといいます。それも京都が、大好きらしい。ほどほどに都会で、ほどほどに自然がいっぱいだからだそうです。人の気質も若干違うのでしょうか。

私たちがグローバルになったとかいろいろ言っていますが、結構あまりに当たり前すぎて、気がつかなかったことがあるんだな、と思いました。日本人は、やはりすごいですね。日本人に生まれたからこそ、着物にも出合えたし。

| | コメント (0)

« 2011年8月 | トップページ | 2011年10月 »