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2011年11月

2011年11月21日 (月)

今日がとうとうきたんだね

息子がこの前、夏季に取れなかった休暇をこの時期にとって、彼女を連れて田舎に帰ってきました。見た目より家族思いのところがあって、おじいちゃん、おばあちゃんに、結婚するつもりの彼女を、見せたかったようなのです。まだまだ具体的な話が進む前ですから、まだ少々早いかなという気がしたのですが、男親側としては、気持ちよく若い二人を送り出しました。

結果からいいますと、とっても喜んで二人とも帰ってきました。彼女は若干、人見知りの気があって、最初はどうなることかと思ったそうですが(息子談)、おじいちゃん、おばあちゃんも好意的に思ってもらえたようで、しっかり二人で休暇を祖父母の家で満喫してきました。

何が良かったって、彼女が、おばあちゃんの出した食事を、おいしいおいしいとなんでもたくさん食べてくれたそうです。いまどきの若い子は、ダイエットだ、なんだと、食が細かったり、好き嫌いをしたりする子が多いのに、気持ちよく食べてくれたので、おばあちゃんとしては嬉しかったようです。息子よりたくさん食べたのではないかと言っていました。

我が家に遊びに来た時も、本当に気持ちいいくらいよく食べてよく飲んで、明るくていい子です。本当にお嫁さんに来てくれるなら、息子がそう望むなら、親としては大歓迎です。

ただ、つらつら思いだすのは、息子が生まれたときのこと。母乳だけでは足りずに、ミルクをたらふく飲んでいたこと、初めて飛行機ブーンができて、自慢そうな顔をしたこと。年少で幼稚園に入れて、最初の園バスに乗せたときに、泣きそうな顔でお母さんの顔を、見えなくなるまでじっと見ていたこと。中学受験をさせたときに、親の方がテンパって、お弁当にお箸を入れ忘れたこと。妹たちのやんちゃに手を焼いていた私のことを、さりげなくフォローしてくれたこと…。

息子が結婚するかもわからない、というだけで、こんなにたそがれるなんて、娘がお嫁に行く時は、いったいどうなっちゃうんでしょうね。やはり、ずっと家族5人で、仲良く肩寄せ合ってきたのですから、たった一人でもいなくなるとなると、とうとうこの日がきたんだなという感慨でいっぱいです。さて、出て行くその日まで、どのくらい泣かないといけないのでしょうか。

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格好を付ける、功罪

京都の食文化ですごいと思うことは、行事ごと、日にちごとに食べるものが決められていたりすることです。おんなはその都度、食事のメニューに悩まなくてすむので、合理的といえば合理的なのですが。昔は専業主婦とかいうカテゴリはなく、一家みんなで家業を手伝ったりしたので、そういう決まりごとはいいですね。

お客様をもてなすメニューから、仕事に来ていただいた植木屋さんや職人さんにまで、京都では仕出屋さんからデリバリーしてもらうことが多いのです。主婦の手料理は家族で食べるもの、お客人には、プロの料理を食べていただく、一見当たり前のようですが、アメリカのホームパーティーのように、手料理でもてなすのが普通に行われてきていることに慣れてしまうと、ちょっと戸惑います。

私個人的には、自分が料理が不得手なので、デリバリーですめば、お客さまももてなしやすい気がします。主婦は特に、女性がいらっしゃると目が厳しいのですので、お掃除に気を使って、お料理はおろそかになっしまいますので、おもてなしは別の方に、というのは嬉しいですね。

古の平安貴族は、表向きの公式の衣装である晴着と、日常の褻(け)着をきっちり区別していたといいます。都のあった京都では、表と裏、晴れと褻を区別して生活することが自然であったのでしょうか。家族と他人、超える垣根は決して低くないと思います。格好を付けることはないよ、といったら終わりですものね。脈々と続く生活の営みの中で、私たちが伝えなくてはならないこと、とても多いですね。

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2011年11月14日 (月)

どうしてももう一度行きたい!

11月の初めに、念願だった奈良、天川の弁財天さんに行ってきました。台風12号来襲の際に、山津波と呼ばれる土石流や、土砂崩れの被害を受けられ、道が寸断している土地柄だったので、果たしてたどりつけるのか、天川村を始め、十津川、五條の方々も無事か、心配でしたが…。

また、行くと決めた数日後に、この台風が来てこのようなことになりましたので、こんなときに、いったい行っていいものかとも考えました。この天川の弁財天さんは、自分がいくら行こうと思っても、行けるものではないこと、弁財天さんが認めてくださらないと、自然に都合が悪くなったり、身内に引き留める物ができたりとかして、行けないものなのだそうです。まさにご縁、ということで、行けるところまで行ってみようと、出発しました。

車で京都から向かったのですが、噂にたがわず、行きにくいところでした。道が難しいとか、そのようなことではなく、行けるかどうか、最後までわからなかったのです。ナビで調べると、ことごとく、赤いバツ印。通行止めのサインです。ナビはそれを避けて道案内しようとしますから、勢い、同じところをぐるぐる廻ったり、こっちの道なんじゃない?と思っても、逆を指示したり。天川の近くの黒滝というところまできたら、すでに神社が開いているだいたいのタイムリミット、4:30を過ぎていました。

ダメモトで、道の駅で道を聞くと、なんでも弁財天さんまでは、何とか行けるらしいのです。その先は、土砂崩れで、温泉があるらしいのですが、その辺は難しいとか。行けるなら行ってみようということで、5:00前に、大急ぎで車を走らせました。

川の向こう側、「ようこそお参り下さいました」の字が見えた時には、もう、本当に泣くかと思いました。やっと念願がかなったと思って、感謝、感謝。すでに七五三や秋季大祭などの行事が終わって、巫女さんたちが、境内をほうきで掃き清めておられましたが…。なんとか、本殿に上って、周囲の写真を撮らせていただきました。

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この日を夢みて、会社の帰りに近くの弁財天さまにずっとお願いしていてよかった。ご由緒をたどれば、弘法大師さまのゆかりがあるようで。今まで四国八十八ヶ所霊場を回ったり、東寺にお詣りしたりしてよかった。許されたんだなと、本当にうれしく思いました。

京都に帰ってからも、しばらくは、なんだか嬉しくてふわふわした気分は続きました。霊的なステージが上がったなんておこがましいことは言えないですが、天川さんに、もう一度参ることが、すぐに頭に浮かびました。私たちを天川さんに導いてくださった、黒滝の道の駅で買った、秀嶋食堂のたれも非常においしくて、また欲しいなと思ったこともあります。ぜひ、もう一度、明るいうちにたどりつきたいです。そして、少しですがご寄進をさせていただけたらと願っています。感謝の気持ちを込めて。

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2011年11月 2日 (水)

津南町の町議さん

東大の大学院の女性が、故郷の町議会議員選挙に出馬、2位に倍以上の差を付けて、トップ当選されたとニュースで言っていました。故郷のために、と、わざわざ故郷に帰っての立候補となりました。今後は、軸足を津南町に置いて、大学院には2時間かけて通うそうです。

人口の3分の1以上が65歳の田舎の小さな町で、若い女性が町議選への立候補、しかも当選するのは日本では異例のことだと、マスコミでも取り上げられていました。3月の大震災の翌日に起きた地震で被災した故郷を救うべく、今後も奮闘されるのでしょう。若い力に期待したいと思います。

ふと、今年の京都市議選を思い出しました。地元から、知っている方のご家族(若いお嬢さん)が出て、当選されたのです。新しい政治団体からの出馬で、既成政党に依存しない、新しい若い力として私たちも、地元小学校のネットワークを使って応援しました。あの若さで見事、現職を抑えての当選となり、皆で喜んだものです。

それにしても、女性は、一人で2役、3役、というマルチな方がとても多いですね。今回の津南町の町議さんも、大学院生で町議。他にも主婦なのに社長とか、お母さんなのにモデルさん、とか、女性はステージが多い方が輝くんでしょうかねえ。

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