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2011年11月21日 (月)

格好を付ける、功罪

京都の食文化ですごいと思うことは、行事ごと、日にちごとに食べるものが決められていたりすることです。おんなはその都度、食事のメニューに悩まなくてすむので、合理的といえば合理的なのですが。昔は専業主婦とかいうカテゴリはなく、一家みんなで家業を手伝ったりしたので、そういう決まりごとはいいですね。

お客様をもてなすメニューから、仕事に来ていただいた植木屋さんや職人さんにまで、京都では仕出屋さんからデリバリーしてもらうことが多いのです。主婦の手料理は家族で食べるもの、お客人には、プロの料理を食べていただく、一見当たり前のようですが、アメリカのホームパーティーのように、手料理でもてなすのが普通に行われてきていることに慣れてしまうと、ちょっと戸惑います。

私個人的には、自分が料理が不得手なので、デリバリーですめば、お客さまももてなしやすい気がします。主婦は特に、女性がいらっしゃると目が厳しいのですので、お掃除に気を使って、お料理はおろそかになっしまいますので、おもてなしは別の方に、というのは嬉しいですね。

古の平安貴族は、表向きの公式の衣装である晴着と、日常の褻(け)着をきっちり区別していたといいます。都のあった京都では、表と裏、晴れと褻を区別して生活することが自然であったのでしょうか。家族と他人、超える垣根は決して低くないと思います。格好を付けることはないよ、といったら終わりですものね。脈々と続く生活の営みの中で、私たちが伝えなくてはならないこと、とても多いですね。

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