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2012年3月29日 (木)

きっかけは、浅草寺

お彼岸を超えて、あ、そういえばしばらく、先祖供養のお願いをしていなかったことに気づきました。

数年前、幸せになる占いというのをやってもらって、その占い師さんに、先祖供養の大切さを諭されたのがきっかけで、浅草寺さんに、先祖供養を折々にお願いしてきました。浅草寺さんは、富士山の浅間神社と同じ、木花咲耶姫に関連されているそうで、先祖を癒す力がとても強いそうです。

今ちょうど話題の、オセロのなんとかさんの話に近いような気がしますが、私はその話に納得したため、ずっと浅草寺さんに、春と秋のお彼岸、お盆の法要をお願いしてきました。でもここ1年くらい、気持ちが緩んだのか、少し忘れがちになっていたのです。

仕事を変わって、つらい日々が続いたのち、思い出したように浅草寺さんにお願いしたところ、気持ちの向き方が全く変わりました。それまでは、悪いことが起こらないように、失敗しないように、後ろ向きのお願いしかしなかったのですが。

だめだったら辞めたらいい。どうせ辞めるなら、やりたいようにやってから辞めよう。そう自分を俯瞰的にみられるようになりました。そうすると、必死でとっていたメモも、見直してまとめながら、こんな場合はどうだろう、こうだったらどうだろうと、疑問に思えることがとても増えてきたのです。

できないこと、しなくてもいいことの切り分けをして、無理しない、理不尽なことはおかしいと言えるようになること。なんと、こんな働くうえで基本的なことを、息子から教えられました。彼も文系の大学を出て、理系の会社に就職して、モーレツサラリーマンのような生活をしている身です。苦労して環境になじんだ大先輩?なので、相談したり、アドバイスをもらったりしました。

今までのやり方では、ミスばかりするのは当たり前でした。自分に自信を失って、どんどんつまんない自分になっていくのを、今度は冷めた目で見つめられるようになりました。そうなると、腹が据わります。いいや、未経験なんだから、社員じゃなくパートなんだから、やれるようにやってみよう。辞めるのはいつでもできる。仕事は選ばなければ必ずある。

誰にも期待しない。傷つかない。環境になじむには、自分が変わるしかないのです。ようやく、少しわかってきたような気がします。きっかけは、やはり、先祖からの助け舟だったのでしょうか?

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